日常

両親への想い – 認知症・介護・ホームでの生活

2022-05-30

両親への想い – 認知症・介護・ホームでの生活

父が2015年9月に95歳の大往生で亡くなって7年弱になります。母はまだ存命ですが、認知症を患っており介護付きホームで生活をしています。私には兄と妹がいるのですが、兄は生まれ故郷の九州に、妹は東京の実家に住んでおり、兄弟みんなそれぞれが自分の好きなことをして暮らしています。そんな我々家族の介護事情はといえば、私が週に一度母のホームに訪ねるといった程度のことで済んでいて、誰かに大きな負担がかかっているというようなこともありません。そんな平和な心配事の無い日常生活を送れているのも、ひとえに父が金銭的にも子供に頼ることなく母と一緒にホームに入ると言う決断をしてくれたお陰だと思っています。今回はそんな両親への感謝の想いを込めて、書き残しておきたいと思いました。

老老介護の10年

今思うと私が50代、母が70代後半のころから母の軽い認知症が始まった気がします。その頃は「痴ほう症」と呼ばれていたかと思いますが、症状としては、自分が置いたところを忘れているのに、「~さんが盗んだ」と怒ったり、薬を飲んだかどうか覚えていないといったものがありました。そんな症状はありましたが、ケアマネジャーさんに朝夕配達のお弁当を手配してもらい、デイサービスには二人そろってほとんど毎日出かけて行っていたので、私達子供の介護を全く必要としない普通の老人夫婦でした。

そんな日々がしばらく続いたある日、母が喘息の発作を起こして救急車で運ばれた病院で認知症のため喚き散らすといったことがありました。退院した後も目に見えて父への負担が増えていったため、少しでも父の助けになればと、仕事が休みの週末の土曜日にバイクで実家に行き、自分が出来得る限りの手伝いをしました。銀行での事務的な処理や、日用品、果物などの買い出しをし、お昼を両親と一緒に食べ、母が好きだった生け花や書道を手伝うなど、終日両親と一緒に過ごしました。母が嬉しそうに生け花や書道をする様子を微笑ましく眺めていた父の幸せそうな顔を今でも思い出します。

母の認知症は、泣き叫んだり、徘徊したり、排泄物をまき散らすなどといった症状は全くなく、ただただ記憶が喪失して行くだけで人に危害も加えない穏やかな認知症なので、その点は本当にありがたかったです。父は母の世話を愚痴ったりすることは一度もなく、たまに口喧嘩をすることはあっても、基本的にはいつもニコニコしていました。しかし、年老いた父にとってはいくら夫婦とは言え、認知症の母と一緒に暮らすのはかなり大変だったのではないかなと思います。

ホームでの生活

老々介護の状態が10年続き、さすがに父の負担を見かねて、当時は珍しかった2人部屋がある介護付きのホームに入ってもらうことにしました。2人部屋は1部屋しかありませんでしたが、道路から奥まっていて周りは桜の木で囲われた住宅地に囲まれたとても環境の良いホームだったので、下見に行ったその場で即決しました。入居に際しては、最後の最後まで実家を離れることを嫌がった母をなだめすかして、連れて行ったことを今も鮮明に覚えています。

父は93歳の時のホームのお誕生日会のスピーチで「自分は100歳まで生きます!」と豪語していたのに、ホームに入って2年半経った頃に具合が悪くなり、見取り介護に移行し、ものが喉を通らなくなってから2週間で木が枯れて行くように穏やか亡くなりました。

そして母も昨年末から見取り介護になりました。それから半年、毎週欠かさずホームに行き母をビデオに収め、九州の兄と頻繁にはホームに来られない妹にスマホで送り安心してもらっています。ホームではまだまだ見取り介護の決断が出来ない家族の方もあると聞きますが、高齢になった体にチューブで栄養剤を体に入れても何の意味もなく、それよりもむしろ自力で食べられなくなってからは自然に任せた方が本人のためだとつくづく思いました。

小柄な母は食欲も落ちて来ているので体重も33キロに減り骨相も変わってしましたが、スタッフの方にいつも笑顔で「ありがとう」と言うそうで、大正→昭和→平成→令和と生きて来た人生の最後をこんな感じで幸せそうな母を見ていると、やっぱり人間の一生は「終わり良ければ全て良し」と言う事なのでしょうねと思います。

まとめ

先程母の弟で都下のホームに夫婦で住んでいる95歳の叔父から、母の事を気遣って電話がありました。私が「認知症の叔母と一緒の2人部屋だとさぞ大変だろうと知らない人は言うかもしれませんが、永年連れ添って来た妻が認知症になっても、ちっとも大変とは思いませんよね。」と言うと叔父は父と同じことを言いました。「全然大変だとは思わないよ。むしろ愛らしくいとおしくなる」と。人生は色々あったとは思いますが、最後の最後でそう思える夫婦は本物だと思うし、そうありたいと思いました。そして、叶わないことですが、認知症になっていない母や叔母にもそんな夫婦の気持ちを聞いてみたいと思いました。