日常

私が軍艦に魅せられる理由

2022-02-14

私が軍艦に魅せられる理由

昔からNHKの「映像の世紀」など歴史ドキュメンタリーが好きな私ですが、だからと言って特に歴史小説を読むことは余りありませんでした。しかし、先日受けたある研修会で、「私の好きな場所」についてグループで発表し合う機会があり、直近で行った横須賀→軍艦を思い出し発表しましたが、その後更に何故自分がここまで軍艦にこだわり魅せられるのだろうと自分なりに考え、今日はそこで出した結論を書き綴ってみました。

両親との最後の旅の思い出:舞鶴

「私が軍艦に魅せられる理由」の1つ目は、今は自衛隊の護衛艦(軍艦)が停泊していますが、両親と最後の旅行の帰りに寄った舞鶴の海軍の歴史と父が育った時代背景・ルーツを思うと、今でも胸がじ~んとして来るからです。

思い起こせば13年前の2009年4月桜の頃に80台後半の元気な両親をもう一度それぞれの生まれ故郷に連れて行ってあげたいとソアラに車椅子を乗せて、東京→大阪→広島→周防大島(山口)→琵琶湖→舞鶴→京都→東京と往復2,800キロの旅に出かけました。今思うととても無謀だったと思いますが、車の運転が好きな当時59歳の私にとってはへっちゃらと思って出発しました。

舞鶴湾を一望出来る公園に行った時、その昔私の父から戦時中舞鶴出身の私の祖父は軍艦を造る造船技師だったこと、戦争が終わった直後にヒットした「岸壁の母」と言う昔の歌謡曲に描かれている歌詞は、この岸壁で引き揚げ船が入港するたびに、戦争に行った子を待つ母の思いを描いた情景そのものだったと聴かされたことを思い出しました。そして、毎日タクシー運転手さん並みの走行距離をこなす、かなりの強行軍だった旅の途中の舞鶴で、アクシデントが起きたのです。

夜中に認知症の母がホテルの部屋のドアチェインを開けて外に出ようとしたのに気づいた私が母を止めようとして、ベッドから急に起きた拍子にめまいと吐き気で全身に力が入らず、それでもなんとか自分で救急車を呼び、舞鶴医療センターに運ばれてしまったのです。病名は突発性良性頭部めまい症でした。そして父から「この病院は元海軍病院だった」と聞かされました。

2日後に退院して車で門を通り過ぎる時、桜の大木と花吹雪が風に舞っていて余りに美しかったので、しばし車を止めて戦争時代栄えた軍港と人々の生活、また「岸壁の母」の歌詞と父の幼少時などその時代に思いを馳せていました。しかし、その時は2009年11月に始まったNHKドラマ「坂の上の雲」の事を知る由もありませんでした。

【NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」への想い】

そして「私が軍艦に魅せられる理由」の2つ目は、この心に残るドラマ「坂の上の雲」で描かれた時代に引き込まれ感動したからです。私が40-50歳になる頃まで会社の上司であり私のメンターのような存在だった方が、よく司馬遼太郎の「坂の上の雲」の内容を情熱的にお話されていたのを思い出しました。ドラマ自体は2009年11月から2011年2月まで足かけ3年にわたって放送されたので、ご興味がある方は下記のリンクをご覧ください。

坂の上の雲 (テレビドラマ) – Wikipedia
NHKオンデマンド 坂の上の雲 (nhk-ondemand.jp)

「なぜ軍艦に魅せられるのか」それは明治に生きた若者の青春、エネルギー、そして終戦に至るまでの戦争の歴史と人々の気持ち、その頃の日本人の精神を感じられるからです。そして昭和・平成を生き抜いた両親への言い尽くせない感謝の念・思い出と共に、今の時代を生き抜く自分に活力を与えるために、時々軍艦を見に行きたくなるのです。

最後に今回の写真は、布袋さんの追っかけで横須賀に行ったときに見た「日本遺産の記念艦三笠」の写真です。