日常

ご縁を大切に #4

2022-06-27

ご縁を大切に #4

コロナ禍も少し落ち着いて来たこともあり、7月に何年振りかで札幌のお友達に会いに行こうと思っています。そのお友達(以降AMさんと呼びます)は今年90歳になる方で、私が人生のロールモデルだと思っている人です。今回AMさんとのことを思い返して改めて感じたことがあります。それは、意識的にご縁を大切にと思っていても、長く連絡を取り合っておらず、ずっと音信不通であったとしても、どこかで思い出し繋がりたいと思って努力し通じたならば、それがご縁だということです。そんなことを感じさせてくれたAMさんとのご縁について書き留めておきたいと思います。

知り合ったきっかけ

私が、当時まだ社員が7人しかいなかった会社に入社し、2年後に経理・人事総務部が出来ると同時に人事総務マネジャーに抜擢された時に、派遣社員の経理担当として入社されたのがAMさんでした。

その頃私は35歳、AMさんは50代前半。AMさんは元々外資系に勤務されていて、40代前半で経理マネジャーとして活躍していたという経歴の持ち主でした。順風満帆なキャリアを築いて来られたように見受けられましたが、入社の経緯を伺ったところ、「仕事・人間関係・社内政治に巻き込まれて悩み、毎日家に帰って一人でお酒を飲みながら泣いていたのよ。もう耐えられないと会社を辞め、ストレスのない気楽な派遣で働くことにしました~」と言われたのが強烈に印象に残っています。札幌出身で独身、東京で永年外資系の女性管理職で頑張って来られ、そんな経験があったにもかかわらず荒んだところもなく気品があり、勇気・寛容・謙虚さを持っていらっしゃる方で、私にとってAMさんは突如現れた唯一無二の「ロールモデル」でした。

人間の事が何もわかっていなかったけれどチャレンジ精神だけは旺盛な私が、「人事大好き!」だなんて言ったら、AMさんにびっくりされました。「信じられない。人事は人の事と書くように誰もやりたくないのに、大好きだなんて!」と言われたことを覚えています。

再会までの道のり

今思えば経理部門の立ち上げ時に、派遣とは言えAMさんが入社して下さっていたことは、会社にとって幸運としか言いようがないことでした。社員7人の小規模の会社で、その内訳も本社採用の外国人と秘書、それに日本人のシニアの方と言う情報収集だけの会社にとって、女性で外資系の経理マネジャーの経験があるAMさんは、会社にとってかなり貴重な存在だったのだと思います。私自身も、AMさんから給与計算の仕組みや年末調整のやり方など色々教えて頂きました。

その後契約終了でAMさんは会社を去られ、ご自身が60歳で札幌に戻られた時にご丁寧に挨拶状を頂きました。その頃の私は40代前半でがむしゃらに働いていたこともあり、AMさんとは年賀状のやり取りだけの関係がしばらく続きました。しかし「疎遠になってしまったな」などと思うことは全くなく、なぜか心の中で「いつかは札幌に会いに行く」と思っていました。

この10年間の思い出

年賀状だけのやり取りが十数年続いた後、ようやく「いつかは札幌に会いに行く」を実現するチャンスがやって来ました。一度実現してしまうと簡単なもので、10年の間に3回もお会いする機会に恵まれました。

1回目は私が60歳の時、日本ウオーキング協会の札幌ウォークに参加した時です。1972年の札幌オリンピックのスキージャンプで、日本チームが金銀銅を独占したことで有名な大倉山シャンテに登るのにご一緒して頂きました。AMさんはお元気そうとは言え、すでに77歳。山道を歩くのは大変だったと思います。その後AMさんのお宅に伺い、お部屋の襖いっぱいに貼られた浅田真央ちゃんが微笑んだ新聞の一面とグッズの数々を眺めながら、お掃除が行き届き片付いているお部屋でむかし話に花を咲かせました。そこには高齢になっても趣味の水泳を続けられているAMさんがエンジョイされている日常があり、とても嬉しく幸せな気分になったことを覚えています。

2回目は3年後に出張で札幌を訪れた時にレストランでランチをご一緒した時。「年を取ったからお会いするのが恥ずかしいし、髪を染めるのを止めたので頭は真っ白よ」と何度も言われましたが80歳のAMさんは全くお変わりなく、その時私は自分が80歳になったころはこんなに元気でエレガントでいられるかしらと思いましたが、きっと私もその頃は同じことを言うだろうと思いました(笑)

そして3回目は札幌に雪まつりとK-Popのライブを観に行った時。雪まつりの雪像は巨大で素晴らしく、これらを作り上げるために自衛隊の方々が何百人も何日もかかって完成させたと言う事を聞き、仕事とは言え費やされた労力に頭が下がる思いになったことを覚えています。雪が積もった中をAMさんと滑らないように歩きながら雪国での生活の大変さを伺いましたが、その言葉の中にはどことなくふるさとへの愛着が感じられ、AMさんのような生き方が出来るときっと幸せになれるのだと思いました。

まとめ

AMさんとの出会いからかなりの年月が経ちましたが、あのまだまだ女性の社会進出が一般的ではなかった時代に50歳でキャリアチェンジをし、60歳で故郷の札幌に戻られ、ご自分の品格を保ちながら魅力的な人間のまま第二の人生を過ごして来られたAMさんは、正しく私の唯一無二のロールモデルでしたし、今もそれは変わりません。これからは梅雨のない札幌にAMさんに会いに行くことを年中行事として、定着したいと思います。