日常

私の人生を彩る”推し”

2022-01-31

私の人生を彩る”推し”

昨年のパラリンピックのデコトラの布袋さんをたまたまテレビのニュースで観て、10年前の出来事が鮮明に蘇りました。人ってふとしたことで色々なことが一転するものだと思った出来事を是非お話したいと思います。

布袋さんとのご縁の始まり

丁度2010年11月1日が会社の創立25周年記念に当たり、12月にその年のクリスマスパーティと一緒に会社の創立25周年記念イベントを行うことになり、私が社員旅行などのプロジェクトリーダーを長年やって来ていたので、今回もこのビッグイベントを任されることになりました。舞浜のディズニーランドのホテルでパーティの後、別のホテルの宴会場で“Premium Night”と称して、直前まで出演者を明かさないサプライズライブに、布袋さんに登場して頂きました!

全国から約1,900名の社員が一堂に会した1泊2日の大イベントの最後”Premium Night”は、幕が開く前の「キルビルのテーマ」のイントロだけで大歓声が巻き起こり、幕が開いた途端布袋さんのエレキギターの大音響と共にロックライブが始まり、その会場に居合わせたすべての社員がその凄まじさに度肝を抜かれました!

また布袋さんはステージの上で、「初めて一企業に呼んで頂きました。とても嬉しいです」とトークで盛り上げ、最後には布袋さんからのプレゼントで記念のG柄のギターを差し出され、ギターを弾けない若い営業マンが抽選で当たり、布袋さんの気前の良さ、温かい人柄がにじみ出たイベントでした。

そして、「実は今年デビュー30周年記念で、来年2月に日本武道館でライブをやります、良かったら来て下さい」と言われ、その頃は布袋さんのファンでもなかった私なのですが、”初めての一企業でのライブ”と言う事でこれはご縁だと思い、一人で日本武道館のライブに行って来ました。

その時は3階席でステージを真横から見下ろす見切り席しか空いて無かったのですが、客席の方を見るとのりのりの男性が90%以上で、リズムに合わせて布袋さんを指さしている見たこともない光景が一望に見渡せる席で、むしろ良かったのです。

何故そんなに男性に支持されるのだろうと思いながら、でもその時は同性に支持されるのはきっと良い事だと思っただけで、布袋さんは「春にはロンドンでの生活を始めます」と言い残して日本を旅立ち10年が過ぎました。

布袋さんとの再会

K-Popや韓国ミュージカルを追っかけ、最低でも年に3回は韓国(チェジュ島も含め)に行っていましたが、コロナ禍の中でほぼ丸2年以上今までの楽しみだった追っかけが出来ず悶々としていた時に、ひょんなことから10年前のあの”単独ライブ”を思い出し、それからはいつも通り即アクションを取って新たな追っかけを始めました!

布袋さんのファンクラブに入会 → デビュー40周年記念ツアー(全国26公演)を知る →横浜/横須賀/大阪(堺)X 2と合計4回のライブに参戦!

コロナ禍の中観客を半分にして、ライブ前1週間の体温データ持参で、もちろんマスク・声無しで拍手のみのライブでしたが、それでも布袋さんの少しでもファンを元気づけたいと思う気持ちがライブでも伝わって来て、最初の横浜から最後の堺まで私のライブのエネルギー消費量は半端ではなかったです!

10年前のあの時と同じく「キルビルのテーマ」でうわぁ~とエネルギーが注入され、1曲以外は皆初めて聴く曲でしたが、すべての楽曲が心臓にずしずしと来ました!そして、その合間の布袋さんがファンに語り掛けるトークに魅了され、「これまでずっと布袋さんと生きて来て、これからも布袋さんと一緒に生きて行くのだ」と言う何とも言えない一体感を感じて、これこそがファンを引き付けるゆえんなのだと幸せな気分になりました。

布袋さんへの思い入れ

布袋さんはもうすぐ60歳の還暦を迎え、そして私は一回り年上の72歳になりそれぞれの10年を頑張って来ましたが、何か古くからの親友に再開したような幸せ感で心が温かくなりました。

そして10年前のあの時はプロジェクトリーダーとして裏方に徹し忙しかったので、布袋さんにご挨拶も出来ずじまいだったことが今でも心残りですが、その時プロジェクトメンバーが「ちゃんと布袋さんに色紙に”Akemiさんへ”とサインを書いてもらっておきましたよ」と渡してくれた今では私の宝物となった色紙を持って、いつか布袋さんに会いに行きたいと思っています。

人ってふとした出来事で人生が楽しくなるものですね。