日常

沖縄に想いを馳せる出来事 – 沖縄芸能フェスティバル2022

2022-05-16

沖縄に想いを馳せる出来事 – 沖縄芸能フェスティバル2022

先日、今年ご縁が出来た友人が少しだけ出演するということで、日本復帰50年記念「沖縄芸能フェスティバル2022」を観に国立劇場に行ってきました。歌と踊りで構成された大変素晴らしい舞台に満足する一方で、沖縄という地、そして沖縄の人々が歩んだこの50年に想いを馳せると色々とこみ上げてくるものがあったので、今のうちにこの想いを書き留めておきたいと思いました。

沖縄との接点 – EKさんとの出会い

私と沖縄との出会いは学生時代に遡ります。友人にEKさんという沖縄出身の人がいました。当時はまだ沖縄返還前だったため、彼女がパスポートを持って東京に来たこと、日本のことを本土と言っていたこと、通貨がドルということなど、彼女から聞かされることは、ずっと本州で暮らしてきた私にとっては驚くことばかりでした。彼女と出会うことによって、初めて私は沖縄を意識するようになったと記憶しています。

沖縄旅行 – EKさんとの再会

学生生活を終え、EKさんと頻繁に会うこともなくなり、そこからしばらくは沖縄を意識することない生活を送っていました。1972年5月15日に沖縄が本土復帰したことも、そこまで大きな関心を向けてはいませんでした。

時は流れて2007年6月、参加していたキャノンのフォトサークルのイベントがたまたま沖縄であったので、「そうだ。これを機に沖縄のEKさんに会いに行こう」と、直ぐEKさんに連絡しました。急なお誘いだったにもかかわらず、EKさんも貸し出しの機材で撮影会に参加してくださり、一緒に写真を撮って被写体についてあれこれ言っている時に、一瞬にして40年前にタイムスリップしたような感覚に陥ったのを覚えています。

次の日には、EKさんの車で北から南の観光地を案内してもらいました。

美ら海水族館:灼熱の太陽の中、ジンベイザメが巨大な水族館の水槽のなかで雄大に泳ぐ姿を見た時、この展示をすることを可能にした沢山の人々に頭が下がる思いでした。

美浜アメリカンビレッジ:日本に居ながらにして、アメリカを味わえると言うところは良いのですが、1972年5月15日の沖縄返還以降も基地が沖縄の背骨のように広い面積を占めている現状は忘れてはならないと強く感じました。

首里城:2019年10月31日に原因不明の火災により現在はもう見ることは出来ませんが、建物の色調は日本よりも韓国・中国に似ていると思いました。

ひめゆりの塔:ここに訪れるまでは第二次世界大戦の沖縄戦の事を少し知っているだけでしたが、実際の防空壕や平和記念資料館で語り部となっているおばあちゃんのお話を聞き再現された避難生活を見ると、心が締め付けられ自然に涙が出て来ました。そしておばあちゃんの手を握り締めて「ありがとう。ありがとう。」と何度も言いました。

旧海軍司令部濠:日本海軍設営隊の手によって掘られた長さ450mに渡る壕。その頃のものがそのまま残って公開されていました。幕僚室で幕僚が手榴弾で自決した跡もくっきり残っているのが見て取れ、その時の状況を思うと胸が張り裂けそうだったことを覚えています。

平和記念公園:海に面した小高い場所に公園がありそこに戦没者が眠っていて、多くの住民を巻き込んだ地上戦の激戦地だった沖縄の人達の事を思うと、平和の尊さを肌で感じ、平和のために自分でも出来ることは何かないのだろうかと思いました。

そして日本復帰50年記念 沖縄芸能フェスティバル2022

もともと国立劇場はその昔お琴と三絃を小劇場の回り舞台で演奏したことがあるのでとても懐かしかったです。フェスティバルは大いに盛り上がり、特に第三部で沖縄ポップスには欠かせない「島唄」で有名なThe Boomの宮沢和史さんがゲストで出演した際には会場が沸き立ち、フィナーレの現代版組踊とエイサーで一気に気持ちが最高潮に達しました。友人はエイサーに合わせて楽しそうに踊っていました。

まとめ

今回の沖縄芸能フェスティバルのエイサーを初めて見た時、太鼓の音や踊りの勇壮さ、一糸乱れぬ動きとこれまでの沖縄の歴史が相まって、久し振りに心が揺さぶられました。人ってちょっとしたきっかけで今まで深く感じることが無かったことに対して、新たな感情が芽生えることがあるものですね。そんな自分発見のために日々感性を磨いて行きたいと思います。