日常

3時間で結婚を決めた理由

2022-08-22

3時間で結婚を決めた理由

先のブログで夫婦のライフスタイルについて書いた中に、「3時間で結婚を決めた」と書きました。昔から突拍子のないことをする相当なおてんば娘だったことは自覚していますが、今思えばあれこそが自分の人生のモットーとしている「思い立ったが吉日」を実践した、最初にして最大の出来事だったように思います。ですので、あまり時間を空けずにその出来事について説明しておいた方が良いと思い、結婚に至る経緯を、主人に出会う前、謂わばエピソード0も含めて書き留めておこうと思います。

大学受験失敗と学生生活

大学受験に失敗した時に母の進めるとおりに短大に行ったことによって、その後の人生が大きく変わったと思います。大学受験の失敗という挫折をしたことによって、大卒の人には負けないぞと思うガッツと信念が芽生え、普通の人がやらないようなことを数多く経験することになりました。

・学生運動の火炎瓶がどんなものか見たくて、べ平連(ベトナムに平和を!市民連合)に入り成田紛争を観に行った

・男の子と知り合うきっかけを作るために近所の大学のダンス部にお願いして、男子学生に来てもらいダンスを習う舞踏研究会と言うクラブを新しく作った

・外資系に就職するために、YMCA夜間クラスに1年間通って英文速記を勉強した

・マニュキアの爪を伸ばしていたので英文タイプの先生に注意されたが、聞く耳をもたなかった

短大入学後に私が経験したことをざっと挙げてみましたが、今振り返っても当時の私の未知のものへの好奇心は相当なもので、自分でも「こんなじゃじゃ馬を乗りこなす人は現れるのだろうか」と思っていたほどです。

外資に就職

短大から日系企業への就職の紹介は一切興味がなく、英語を生かすことが出来る企業への就職をするために頑張って英文速記も勉強していたので、ジャパンタイムズの求人広告でアメリカの小さな半導体企業のフェアチャイルド・セミコンダクターと言うアメリカ人駐在員と秘書だけの小さな組織に、ジュニア―・セクレタリーとして入社しました。そこで初めてテレックスと言うテレタイプ端末を使用した通信方式を使うことになり、これが後々主人と知り合うきっかけになりました。

主人に巡り合ったきっかけ

外資系企業で働くことによって様々な面で考えが広がった私は、その頃自宅通勤だったのですが、まずは車を買って世界を広げようと思い、サニークーペ1000を買いました。そしてその車でもっと世界を広げるためにはガソリン代を稼がなくちゃとマンパワーに登録し、会社に黙って18:00-22:00週2回のテレックス・オペレーター(時給1,980円)として大手商社のS社で働くことになりました。今では副業OKな会社も多いと思いますが、当時は全くそんなことはなかったので、我ながらよくやったなと思います。

まじめで若い私はベテラン派遣社員の無駄話には加わらず黙々と仕事をしていたのですが、なぜか「威圧感があるので一緒に仕事が出来ない」と派遣先に通報され、一人で仕事をするM社に異動させられてしまいました。当時その異動に納得は出来ませんでしたが、その異動先で当時新入社員だった主人と出会ったので、今思うと通報してくれた人には感謝したいと思います(笑)

M社への異動から何週間か経ったある日、たまたま主人と帰りが一緒になり新宿で電車を降りて京王プラザホテルの最上階のラウンジで食事をすることになりました。世界を相手にしている商社マンの主人は、中学の時に東京都の水泳大会に出場し平泳ぎで12位だったとか、父も商社マンで今は台湾に駐在しているとか、自分もパキスタンと香港に居たので自分が話すのはクイーンズ・イングリッシュだとかといった話をしてくれました。その中で特に私の興味をひいたのは、主人の女性や家族に対する価値観でした。その頃の一般的な男性は右向け右でずっと右を向いているような女性が良いと言うような人が一般的でしたが、主人は違っていました。

・女性は健康で勝気な方が良い

・人生最大の大仕事はベターハーフ(良い配偶者)を見つけることだ

・妻が毎日生き生きと幸せそうに生きているのを傍で見ているのが自分の幸せ

・母親が3回も変わり今まで大変だったので、早く結婚して落ち着きたい

主人は商社マンの父の海外転勤でパキスタンと香港に連れて行かれ、6歳の時に母親が交通事故で亡くなり、2番目の母親は弟が生まれた後主人が16歳の時に胃がんで亡くなったのだそうです。平凡に育った私は全く違う世界で大変だっただろうに、そのことを全然感じさせないところにもびっくりしました。

父が大酒のみで兄が九州男児で荒っぽく母は独立心旺盛ななかで育った私は、とにかく男っぽくて、スポーツマンでカッコ良い男性がいいなぁと単純に思っていたので、主人はちょっと考え方が若年寄っぽいのではと思いましたが、自信と説得力のある考え方、価値観にすっかり吸い込まれてしまったのです。

そうして相手に惹かれていたのは私だけではありませんでした。一般的な女性らしくうつむきながら話をするようなタイプではなく、物事をストレートに話し、自分で人生を切り開いて行く勝気な私を見て、主人も直感で(この人だ!)と思い結婚しようと切り出してくれたのです。あまりに突然のことでしたが、私も何故か直感的に「はい」と応えてしまいました(笑)

その日は1971107日だったのですが、結婚式を1年後の同じ日挙げようという話もしてくれました。ずっと後になって主人が「あの時良く即答したよね。親に相談してからなんて言っていたら、結婚していなかったかもしれないよ」とこぼしたのを聞いて、人生最大の大仕事、運命の結婚を決めるときはそんなものだと思ったものです。

まとめ

何とドラマチックな人生かと思われるかもしれませんが、これは私が特別だと言う事ではなく誰でもそれぞれの人生にドラマがあり、大切な思い出があります。何がきっかけでどのような方向に向かうのかは、やってみないとわからないことだらけです。きっかけ作り、そして自分を信じて「迷ったらまずやってみる」ことをお勧めします。因みに主人はあれから50年経った今でも「自分の幸せは妻が生き生きと毎日楽しそうに生きているのを傍で見ていること」と言っています。