思い出

主人の病との闘いの記録

2023-01-30

主人の病との闘いの記録

先日、昨年11月に中央公論新社から「最後の人」という本を出版された松井久子先生の内々の出版記念講演会+サイン会に出席してきました。現在76歳の松井先生が、常に自立した女性として生き抜いてこられたエンターテインメント業界(最後は映画監督)のお話、そして小説家として今をどのように生きていらっしゃるかというお話の中で、次々とご自分の生き方を進化させて来られたところがとても刺激的でした。松井先生が生き抜いて来られた時代は、私が生きて来た時代とぴったり重なっているため、同じ頃に私はどのように過ごしていたかを常に意識しながらお話を伺うことが出来ました。

今回は、その時に私の頭の中の大部分を占めていたこと、25年にわたる主人の病気との闘いについて書き留めておきたいと思います。

主人の商社マン時代

昨年の夏のブログ、3時間で結婚を決めた理由のなかで、主人とのなれそめなどを書きましたが、主人は商社マンとして働いていたため、29歳でヒューストン(4年間)、39歳でロサンゼルス(5年間)、49歳でジャカルタ(3年間)と、その頃の商社マンが皆そうだったように3回ほど海外赴任をしました。最初の海外赴任の時は私も帯同しましたが、残りの2回は私のキャリアのために単身赴任になりました。単身赴任の期間中、3カ月に1回は私が現地に出向き、一緒にゴルフをしたり観光旅行をしたり思い出作りをしましたが、健康管理という面ではこの期間はかなり杜撰だったことは否めません。主人は仕事が忙しいということを言い訳にして、会社が実施している健康診断と人間ドックを一度も受けなかったそうなのです。今思えば、この頃からいつも何となく体が怠いということを訴えていた気がします。その怠さを激務のせいだと思い込まず、しっかり原因を突き止めておけば良かったと、今になっては思います。

主人の病との闘いの始まり – 免疫性膵炎

主人は52歳の時にジャカルタでの単身赴任を終えて帰国しました。実はこの時既に免疫性膵炎という病気が主人の体を蝕み始めていました。この病気もその一因だったのではないかと今となれば思いますが、この頃主人は働く気力を失い始めてしまい、当時新聞を賑わしていた大手企業の早期退職制度を利用する決意をしました。こうした気力の喪失をあまりシリアスに考えず、退職後の主人は大型バイクの免許を取りヤマハのロードスター(1700cc)を乗りこなすなど、充実した生活を送っていました。

しかしそんな平穏な日々は長く続きませんでした。主人が55歳の時、私が知り合いの結婚式に出席し夜に帰宅した時、ベッドにうつぶせになり身体を丸めて胃を痛そうにしている主人を見つけました。次の日に近所の大学病院に主人を連れていき検査をしてみたところ、膵臓が固くなっているとのことで緊急入院となりました。この時点では病名が確定出来ず一度切ってみないとわからないとのことでしたが、癌の可能性もあると言われたため、すぐさま外科手術で日本一の先生がいる東大病院の初診の予約を取りました。今思うとこれが運命の分かれ道でした。

免疫性膵炎の治療

その頃の東大の肝胆膵外科の初診は幕内教授が担当されていていました。教授はレントゲン写真を見るや否や「これは10年前に発見されたばかりの免疫性膵炎という病気です。癌ではありません。癌だったらとうの昔に亡くなっていましたよ。」と仰ってくださいました。癌だったらどうしようという不安がとても大きかったので、生死に関わる病気ではないとわかって安堵の涙が出たのを覚えています。

そこからは免疫性膵炎の治療のために、ステロイド剤を40mm50mm投与して3カ月様子を見るための入院生活が始まりました。癌かもしれないという恐怖から一転、安堵の中で始まった主人の入院生活はとても呑気なものでした。黙ってお部屋のトイレの換気口の下で煙草を吸っていたのが見つかり、婦長さんに不届き千万と厳重注意されたり、看護師さんたちの人生相談(特に恋愛問題)にアドバイスしたり。ステロイドの副作用でムーンフェイス(満月様顔貌)になったにもかかわらず、そんな風に過ごしていたので、呑気で不謹慎な患者と思われていたと思います。病室での喫煙を厳重注意されてからは、午前中に三四郎池に行って、カルガモを見ながらすぱ~っと煙草を吸うことを日課にしていたようです。

そして胃癌:ステージ4 – 胃の全摘手術

免疫性膵炎の治療を初めて9年経った頃、多臓器不全になる可能性もあるのでステロイドを一度止めてみましょうと言われ、それから1年後、主人が65歳の時にステージ4の胃癌が見つかってしまいました。主治医の瀬戸教授(現東大病院長)から、「癌細胞がリンパ節にも転移しています。」と言われたときのことは忘れられません。その後、治療法としては①胃の全摘手術、②抗がん剤治療+手術、③抗がん剤治療のみがあるという説明を受けた主人と私は速やかに①の胃の全摘手術をお願いしました。それから2週間後の20121225日のクリスマスに8時間の胃を全摘する大手術をしました。手術直後に汗で額がびっしょりの瀬戸教授から「手術は成功しました。転移しているリンパ節も全てではありませんが出来るだけ取りました。」と説明を受けた時には、(あ~助かった……)と手を合わせました。そして、その後の抗がん剤治療を主人が頑張ってくれたおかげで、手術から今年で11年目を迎えた今も主人は生きることが出来ています。

この胃癌の治療には後日談があります。手術から5年経過して主人の体調も元気なころに戻った頃、主治医の瀬戸教授から「お元気になられたから言うのですが、あの時の手術の生存率は2%でした。」と言われたのです。その事実にはさすがに唖然としてしまいました。もし手術の直後にそれを言われていたら、主人も私も絶望して生きるために頑張ろうという気力は持てなかっただろうと思います。それをわかっていて言わなかった教授の気配りにプロフェッショナルな姿勢を感じました。その一件で、お医者様も患者と一心同体になって癌に立ち向かってくれているのだなと感じ、何が何でも治療をやり通すという気持ちになることが出来ました。

まとめ

主人は現在も半年に一度①胃癌、②甲状腺、③免疫性膵炎、④間質性肺炎それぞれの科にかかっています。これらはステロイドの副作用と言われています。しかし、2回の病魔に立ち向かう主人の気力と、何が何でもベストを尽くすという私の気力で乗り越えて来ました。これからも兎にも角にも、主人の長生きのために色々とプラスになるだろうと私流に考えて、即実行して行きたいと思います。オーディブルで主人の毎日が活性化されたように。