思い出

その後の運を引き寄せた、学生時代の3つの行動

2023-11-06

その後の運を引き寄せた、学生時代の3つの行動

今回は私の学生時代のエピソードをご紹介したいと思います。まだ女性が社会に出て働くことが珍しかった時代に、男性社員に囲まれ切磋琢磨しながら、リタイアまで一気に駆け抜けることになった私のキャリアですが、思い返してみると学生時代の3つの行動の影響が大きかったような気がするのです。そこで、その3つの行動をお伝えすることで、これからの時代を生きて行く方々のお役に立てればと、色々な角度から思い出して書き留めてみたいと思います。同じ時代に生きた方々には懐かしく思えるエピソードもあるかもしれません。

新しくクラブ活動を設立 – 舞踏研究会

大学受験に失敗した私は、母の言う通り何の疑問も抱かず短期大学の英文科に進みましたが、それからの学生生活はその時代の女性にしては珍しく非常に活発なものでした。

その中で一番記憶に残っているのが創立3年目の短期大学内で新たに舞踏研究会を作ったことです。講師として池袋にある大学の舞踏研究会の部員の男子学生を招くことによって、短大の女子学生たちが男子学生とグループで交流できる場にもしたため、同級生からは好評で沢山の人が参加してくれました。

このころから何ごとも躊躇せず先頭を切って行動するというのがモットーになっていた気がします。自分の為よりも周りのみんなのことを優先して動くことの喜びを学べたのもこういった活動からでした。長年勤めた会社の創立25周年記念一大プロジェクトの成功の原点は、この学生時代の舞踏研究会設立だった気がします。

ハワイ大学の夏季講習に参加

ハワイ大学の夏期講習に参加したことも今の私を形作ったいくつかの要因の一つだと思います。1960年代後半、成田闘争で世間がなんとも言えぬ空気になっている中、ハワイ大学が夏季講習に参加する学生を募集していることを知った私は、それを見て直ぐに応募しました。高校生の時のアメリカへの交換留学生試験に落ち、大学受験にも失敗した私にとって、この体験で何かが変わって欲しい、何かを変えたいという思いからの応募でした。

この夏期講習で身についたものは英語力ではなく“度胸”だったと思います。ワイキキに行くために乗ったタクシーに60ドルを置き忘れたまま下車してしまいドタバタしたこと、そのせいで重くなりそうだったハワイ生活の空気を一変させるために奮発して60ドルのスタールビーの指輪を買ったことなど、遠い異国の地でしか経験することが出来ない出来事を通して、良い思い出も嫌な思い出もまとめて懐かしい思い出として捉えられるようになりました。そこで得た、どんな状況もポジティブに受け止めようとする姿勢は、今も私の中にしっかりと生きています。

就職活動はJapan Timesの転職コラムで

短期大学の英文科のカリキュラムは、就職したら即実務に対応できる英文タイプ、英会話、英語の商業文の読み書き(コレポン)が中心でした。大学受験に失敗した私は「4年制大学の学生には負けたくない」という思いから、学校帰りに目白の英語学校に通って英文タイプの練習をし、更に英文速記を学ぶために週2YMCAに1年間通いました。

そして迎えた就職活動。短大の卒業生のほとんどは国内の大手企業の事務職での採用を目指しますが、私はそれらには一切見向きもせず、Japan Timesの転職コラムを毎週チェックしていました。そこでアメリカのICチップの会社の日本支社のジュニアセクレタリーに応募して採用されました。4人のアメリカ人と先輩秘書と私の6人からなる小さな会社で自分のキャリアをスタートしたのです。学生時代に身に着けた英語力を、より活かせる環境で働きたいという思いからでした。この学生時代の努力と就職時の決断のおかげで、その後外資系企業でキャリアを積み上げることが出来たことは言うまでもありません。

まとめ

その後結婚をしても仕事を続けてはいましたが、26歳の時に夫の海外赴任に同行するために一度退職し、ヒューストンで4年間駐在員の妻として過ごしました。1980年に帰国した直後にはカナダの企業に入社し、そして1983年にはその頃社員がまだ7人しかいなかった外資系企業に転職しました。学生時代に初めて就職した時と同じような選択をしていますね。そう考えると、今の私を形作っているものは、学生時代からの行動パターンの連鎖で出来ているのだなと実感しています。皆さんもきっとそのような思い出があり、それらが今に繋がっているのではありませんか?