メンタリング
また会いたいと思われる人とは?
2022-03-21
私はこのテーマをかれこれ10年以上前から社内外の研修のテーマとして取り上げて来ました。そして現在ではオンラインサロンでも毎月「また会いたいと思われる人になりませんか?」と言うテーマでイベントを立ち上げていているので、是非ブログでもいつか取り上げたいと思っていたテーマの一つです。
「また会いたいと思われる人になる」と言うのは私のモットーであり、常に心にある願望です。そのモットーにふさわしい自分であるか、自分に問いかけながらこれまでの事を振り返ってみたいと思います。
どんな人だろうと思ったきっかけ
それは50歳の時に360度評価で学んだことから始まりました。(下記リンクをご参照下さい)
余りにもショックな出来事でしたが、今思えば何とかしなくては、このままでは終われない、この状況から逃げるなんてとんでもない、「ピンチをチャンス」に変えるのだと自分に思い聞かせることで、しっかりと向き合うことが出来ました。そして赤信号から青信号になるまで5年間かけてPlan-Do-Seeのサイクルを回して気づいたのが、「また会いたいと思われる人」になればきっと道が開けると。
また会いたいと思われる人はこんな人?
それぞれの育った環境や置かれた立場などで価値観が違うように、「また会いたいと思う人」は人それぞれかもしれませんが、私の場合はトライ&エラーを繰り返して来た中で、こんな風に思いました。
- ・いつも明るく自然体で、ポジティブな人
- ・いつも相手に配慮するコミュニケーションが出来る人
- ・おおらかな人
それでは一つ一つに対しての思いを書きますね。
いつも明るく自然体で、ポジティブな人はそばに居てくれるだけで、ほっとして、自分まで知らず知らずのうちに前向きな考えになり一歩踏み出そうと思わせてくれて、そんな人とお話をした後は何だか元気が出ると感じます。
いつも相手に配慮するコミュニケーションが出来る人は言葉でのコミュニケーションの前に、すでにボディ・コミュニケーションが出来ている人ですね。コミュニケーションというものは、言葉を通してだけではなく、その人の醸し出す雰囲気で感じさせるボディ・コミュニケーションによっても成されます。「ああこの人は私に配慮してくれているなぁ」と感じさせてくれる人は必ずしも言葉でのコミュニケーションが上手とは限りません。口下手だとしても、ボディ・コミュニケーションに長けていれば、その人の心は十分に通じるものです。
おおらかな人とは定義がなかなか難しいのですが、私の中での定義は心がいつもゆったりと余裕があり、広く他を受け入れる寛容さを持ち、些細なことに動じない人のことではないでしょうか?私は、現役時代は完璧主義者でしたので、どうしても自分が出来ないと悔しいし許せないところがあり、部下や同僚に対してもそれが出てしまっていたため、決しておおらかな人とは言えませんでした。しかし、年齢を重ねるごとに失敗から学び完璧主義から8割~7割主義になって来たあたりで、おおらかさを身につけられて来たように思えます。まだまだ道なかばですが。おおらかさは生まれつきのものではなく、日々努力して身に着けられる「素養」なのです。
まとめ
「また会いたいと思われる人になる」と言うテーマは正しく私のミッションステートメントです。色々な要素を秘めた言葉だからこそチャレンジし甲斐があるし、日々の人との交わりの中で気付き、感じながら少しずつ実践して来たことが今に繋がっています。常に今がベストだと思える生き方をしたいものですね。