日常

ご縁を大切に #2

2022-04-04

ご縁を大切に #2

#1では「ご縁」と言うものは、最初から素晴らしい出会いがあったから「ご縁」と言うのではなく、出会えたことを「ご縁」と呼ぶから、その出会いが素晴らしい出会いになると書きました。その出会いを自分がいつ「ご縁」と感じるかにもよりますが、今回は若いころに出会った時は特に「ご縁」と意識していなかったけれども、あることをきっかけに心が温まる「ご縁」を感じて、やっぱりこの「ご縁」を大切にしたい気持ちが沸き上がった時のことについてお話したいと思います。

お琴との出会い

その「ご縁」を感じたものはお琴です。

私とお琴との出会いは幼少期にまで遡ります。母は嫁入り道具としてお琴を持ってきたのですが、自分では満足にお琴を習得することが出来なかったため、せめて自分の娘にはと、私と妹にお琴を習わせたのです。自主的に始めたお琴ではありませんでしたが、それなりに筋が良かったようで、色々な演奏会に出演し、北九州では少し名が知れるようになりました。

しかし、自主的に始めたわけではなく、かつ、その時はまだお琴に「ご縁」を感じていなかったため、私と妹のお琴への熱はそれほど高くありませんでした。母にピアノを買ってもらった私たちは、お琴を離れ、ピアノを習うようになったのです。それからしばらくは、お琴とは無縁の生活を送っていました。

それから時は経ち、年齢も20代前半に差し掛かったある日、お琴の二大流派の一つ、生田流の大畠先生が3つ隣の駅にいらっしゃることを妹が見つけたことをきっかけに、再度お琴を習い始めることになりました。

大畠先生は繊細なつま音、妥協をしない音への探求心と表現、その上にさっぱりと親しみやすい飾らないお人柄で、それぞれのお弟子さんの良さを引き出して下さる先生でした。

芸は身を助く in ヒューストン

26歳から30歳(1976年~1980年)の4年間、主人の転勤に伴いテキサス州ヒューストンで生活しました。その際、お琴を習っていたお陰で素晴らしい文化交流が出来ました。これこそ「芸は身を助く」ですね。

下記のような色々な機会を得て活発に文化交流が出来たことは、私の掛け替えのない思い出となりました。

  • ・ヒューストン日本人会で演奏、一躍有名になる
  • ・PTA文化芸術ワークショップに出演し、新聞に掲載される
  • ・ライス大学で「日本の夕べ」コンサートを開催
  • ・ヒューストンの日本領事館で桜の集いで演奏
  • ・テキサスの州都オースチンで富豪の夜会に招待され演奏
  • ・ヒューストンEXPOの中のジャパニーズビレッジで演奏
  • ・ヒューストンのテレビ局で演奏

先生とお琴との関わり合い

30歳で帰国した私は直ぐ外資系企業に勤め始めましたが、それと同時にお琴の師範も目指し始めました。教師試験を受けるために先生に猛稽古を付けてもらった日々や、そして試験の前に大師範の先生にお稽古を付けてもらうために大畠先生に同席してもらった時のことは今でもよく思い出します。

数々の演奏会の中でも最も忘れられないのは国立小劇場の回り舞台でした。大師範の先生の直門の先生とその孫弟子の私達までが一堂に会する盛大な、素晴らしくまたレベルの高い演奏会でした。ステージで弾き始めるまでの緊張感、演奏が終わった時の達成感は大畠先生とのゆるぎない信頼関係があったからこそ経験出来たものでした。

しかし、仕事とお琴の二足のわらじの日々は非常にハードでした。「西濱さんはつま音が良いし、耳が良いので将来が楽しみ」と仰って頂いていましたが、片道1時間半かかって通うお稽古と日々の練習と仕事の両立は想像していたよりも難しく、最終的には仕事を優先し、35歳でお琴と三絃の世界から離脱することになってしまいました。

大畠先生追悼演奏会での門下生との再会

時は流れて2019年。後を継いだ娘の菜穂子さんから先生が亡くなられたとの連絡を受けた時は愕然とし、時間が出来たらお伺いしようと思いつつ、忙しさにかまけて何年もお伺いしなかったことが悔やまれて仕方ありませんでした。

昨年秋コロナで1年延期になった大畠先生追悼演奏会の日を迎えました。パンフレットには、先生が晩年まで何枚もCDを発売し、ヨーロッパへの演奏旅行にも行かれたというプロフィールが載っていました。老いても尚、夢を追い求め日本文化の普及にも生涯をささげられた大畠先生。

そして会場の楽屋に先生の娘の菜穂子先生が遠くから「西濱さ~ん」と手を振って、「遠くからでも西濱さんってすぐわかりました!」と駆け寄って来てくれました。そしてその昔一緒に受けた教師試験で全国1位だった同僚のみ~ちゃんと抱き合いました。

まとめ

大畠先生との数々の思い出が蘇って来ると心が温かくなり幸せに感じられる、これこそがご縁だと感じます。特にその瞬間瞬間にはご縁だと気付かなかったことも、年を重ねるとともに経験や体験を積んで来たからこそご縁を大切にしたい気持ちが培われて来たのではと思います。

そして今思うことは、まずは三絃の皮を張り替え、この春から艶のある音の感覚を取り戻せたら、そのうち菜穂子先生の三絃のお稽古に復帰して、大畠先生との「ご縁」を今度は菜穂子先生と繋いで行きたいと思っています。