日常

私の推し活の歴史

2023-02-13

私の推し活の歴史

2023年23日の日経新聞の夕刊のシニアサポーター欄に掲載された『「推し活」で気持ち若返る』という記事が目に入りました。その記事には、2022年に5084歳の女性を対象にシニア向け雑誌が実施した調査によると、回答した559人のうち「推し」がいると答えた人は全体の35.2%を占めたという調査結果が紹介されていました。「推し活」というと若い人のもののように思われるかも知れませんが、最近ではシニア世代にも定着してきたことがよくわかります。これまでも人生を彩る”推し“などで私の「推し活」についてのエピソードを書いて来ましたが、今回は私の一連の活動の原点とも言えるK-POP関連の「推し活」について振り返ってみたいと思います。

K-POPを初めて知る

私とK-POPの出会いは2010年にまで遡ります。その頃は第2次韓流ブーム真っ盛りで、KARAや少女時代、BIGBANGなどのK-POPグループが日本に進出して来ていました。ちょうどそのタイミングに山中湖交流プラザきららで開催された「Point Green! Music Festival」に参加したのですが、そこで初めて目にしたのが前座として出演していたデビュー直後の超新星だったのです。初めて目にしたK-POPグループのかっこよさに衝撃を受け、直ぐにファンクラブに入ってしまいました。あの時感じたワクワク感は今も覚えています。

そこから始まった「推し活」生活。炎天下のお台場で一瞬の握手のために長蛇の列に2時間待つのもへっちゃら。グッズを買い、チケットの抽選発表にワクワクドキドキ。彼らと少しでもハングルでお喋りが出来ればと、東海大学の夜の社会人向けハングル講座で勉強し始めました(結局1年で挫折してしまいましたが……)。

私の「推し活」は国内だけにとどまりませんでした。韓国と日本の歴史・文化・人にも興味を持っていた私は、ソウルの江南で行われた韓国ウォーキング大会に参加するために、初めてソウルに降り立ちました。ウォーキング大会の会場にはステージが設置されており、舞台の上ではK-POPグループとしてのデビューを目指す練習生たちがレベルの高いパフォーマンスを披露していました。競争の激しい中で歯を食いしばって努力したものだけがデビューできる文化だと聞き、K-POPのレベルの高さを支えているものを体感することが出来ました。

私の推し活の全盛期

私の「推し活」はさらに勢いを増していきました。2012年には日韓文化交流会に入り、日韓文化交流使節団の一員として普通の観光旅行では行けない韓国の田舎での歓迎会や、K-POPの有名なテレビの収録現場やドラマの収録現場訪問などを体験することが出来ました。2013年にはお友達と一緒に「冬のソナタ」の撮影現場巡りをし、元東方神起のキム・ジュンスのミュージカル「December」とも出会いました。特に「December」には衝撃を受けました。歌唱力の高さ、ひいては韓国のミュージカルのレベルの高さに圧倒されてしまい、そこからは3カ月に1度はソウルに行き、2-3泊してミュージカルとコンサートに没頭するという生活を送りました。入り待ち、出待ちはもちろんのこと、キム・ジュンスのファン・ミーティングのために済州島にも何度も行き、ジュンスとのツーショットの写真も撮ってもらうことができました!

ハングルの勉強も、紆余曲折ありながらも、なんとか文章を読むことが出来る程度にはなることが出来ました。もちろん会話できるくらいになれたならそれが理想ではありますが、なかなか難しいですね。

これほどまでにのめり込めるのはやっぱり時間とお金にちょっと余裕があるシニアならではかもしれません。いくら気力体力があっても若い人ではなかなかこうはいかないですよね。シニア世代で「推し活」をする人が増えてきたのも、こうした事情が背景にあるかもしれませんね。

韓国ドラマの視聴

コロナ禍になる少し前の2019年頃から、スカパーで韓国ドラマをいち早く観て、好きなものはダビングをしてお友達に送ってあげるということをしていたことは、以前にブログのご縁を大切に #5で書きました。現在はNETFLIXなどの配信サービスが広まりそんなにニーズがなくなってきていますが、それでも韓国で放送された直後に観られるのはありがたいととても喜ばれています。そんな風にダビングしたDVD90枚になりましたが、昔のものはほとんど観なくなりました。これも時代の流れでしょうか。

まとめ

こうして振り返ってみると、10年前は兎に角K-POP、韓国ドラマ、ハングル講座にのめり込んでいたことがわかります。自分自身が若かったこともありますが、熱狂的とも言える行動力を発揮していました。翻って今はどうかと言われると、やはりコロナ禍の3年間は長く、失ったものは大きいと思います。コロナ前のあの頃の情熱は消えてしまい、ご時世的にはまた韓国にも自由に行けるようになる兆しが出て来ましたが、以前のようなワクワクドキドキ感は失ってしまいました。

と言っても「推し活」を辞めるわけではありません。コロナ禍の3年では失ったものとともに新たに得たものもあります。それが新たな推しである布袋寅泰さんです。これからは布袋寅泰さんの推しに集中していきたいと思っています。そして昨年8月のブログ72歳の‶推し活″に書いたように、「推し活」によってストレスや疲れを解消させ、「推し活」を生き甲斐にすることによって、生活にハリを出していけたらと思います。シニアにとって推し活は「命の源」にもなり得ると言われています。兎に角ウキウキわくわくする「推し活」をいつまでもやり続けたいものですね。