日常

神社参拝紀行 – 御朱印帳

2022-09-12

神社参拝紀行 – 御朱印帳

仕事の打ち合わせとオンラインサロンのリアルイベントのために福岡に行って来ました。北九州出身(生まれて17歳まで)の私ですから、福岡は馴染みの土地なのでは?と思われるかも知れませんが、実は20142月頃まで福岡を訪れたことはありませんでした。地理的に近いとはいえ、当時の17歳の少女にとって、福岡は気軽に行けるところではありませんでした。しかし、時が経ち、大人になってから一度訪れた後は、出張だったりK-popの推し活のためのヤフードームだったりと、何度となく福岡を訪れるようになりました。

以前「私が神社に行きたくなる理由」というブログに記した通り、私は遠征の際にその土地の名所や旧跡、神社を訪れることをライフワークにしているので、今回も時間があれば必ず神社参拝をしようと思い御朱印帳を持参していました。そして、東京に帰る日の早朝に参拝することが出来ましたので、その辺りのことを「神社参拝紀行 御朱印帳」として書き綴ってみることにしました。

御朱印帳の収集を始めたきっかけ

初めて名古屋を訪れたのは2014年の10月でした。K-popの推し活で知り合った北九州のお友達と名古屋に2日間行ったのですが、夜のライブまでに時間があるので、昼間は観光名所に行ったり、美味しいものを食べたりしようということになりました。ライブ会場の近くでK-popグループも出没する有名な蓬莱軒本店でひつまぶしを食べ、その後に有名な熱田神宮に参拝したのですが、そこで御朱印の存在を初めて知りました。小さいころ書道を習っていた私は、墨と筆で描いた文字と朱肉で押印された印の調和に凄く魅了され、御朱印コレクターになったことを覚えています。

志賀海神社に参拝

せっかく福岡に行くからには素敵な神社に参拝したいと思い、オンラインサロンでも話題になり以前読んだ「成功している人は、どこの神社に行くのか?著者八木龍平」で調べてみると、志賀海神社を見つけることが出来ました。志賀海神社のご利益を知れば知るほど、ここに参拝するために私はこの1年間を過ごして来たのではと思えるくらい、今の私にとってぴったりのタイミングの神社でした。

以下、前述の書籍に書かれていたことの抜粋です。

本気で運気を上げたい人は、どこのお神社にいくのか?

・道を極めるなら山の神様「源」

解決・チャレンジすべき最先端の課題を解決する最先端に立つことがご利益
道を極める、独創性を発揮するなどそのための適切な課題を無意識に知るでしょう。

・世に広げるなら海の神様「拡大」

清濁併せのみながら、広く世の中と関わり拡大して行くご利益
「源」が具体的になり、世の中と言う海で広がり、普及して行くでしょう。

そして、なんと海神の神社は福岡市志賀島の志賀海神社が代表格と書いてありました!

何故今の私にぴったりのタイミングでの志賀海神社参拝だったかと言うと、世に広げるなら海の神様「拡大」と言う言葉が、私がずっと温めて来た自分がやりたいことを、今まさにこれから出来ることは何でもやると言う意気込みでスタートしようと決意したタイミングだったからです。ちょっと前にビジネスチャンスのお声がかかったりしていたこともあり、このタイミングで福岡の志賀海神社に参拝が出来たことと繋がり、気分が高揚しワクワクしました。そして、近々山の神様の東京都青梅市武蔵御嶽神社にも必ず参拝しようと思いました。

また今回も神社参拝には御朱印帳を持参していたので、参拝の前に御朱印帳を社務所に預けて御朱印をお願いし、ゆっくり参拝をしながら境内をぐるっと回ったのですが、日曜日でもコロナ禍のせいかそんなに人はいなく、一つ一つの古びた鳥居を見てみると明治時代に建てられたものやそれ以前のものもあり、石が侵食されている様子に歴史を感じました。

帰りに御朱印帳を受け取りに社務所に立ち寄った際、私が「どうもありがとうございました」とご挨拶すると、お勤めされている白装束の年配の男性が「よくお出で下さいました」と声をかけて下さいました。思いがけない言葉に心が和み、癒され、心が温まりました。こんな対話に接したのは何年振りだろう、神社参拝でこんなにも幸せな気持ちになれるとは思いませんでした。どこの神社でもこんな対話が出来るわけではないので、ここは他の神社と何が違うのだろうと考えながら、もしかして私が来るべきして来たのかもと思いました。

志賀海神社: http://shikaumi-jinja.jp/

まとめ

神社参拝紀行だったのですが、参拝の最後に社務所で交わしたふとした対話で気付かされたことは、いくら日常があっと言う間に過ぎて行けども、人と人とのコミュニケーションは時代が変わったからと言っても、人への素直な誠実な気持ちを自分が口に出して伝えることが大切で、そこから人の気持ちを受け止め慮る心が芽生え、信頼関係がはぐくまれて行くのではと思いました。このことは今生きている私たちが、日々後世に伝えて行きたいものの一つでは無いでしょうか。